卫一旻的博客

2018年年度总结

卫一旻 日常

去年のブログを読み直して、恥ずかしくてたまらない。なんで去年はそんな気持ちになれるかまで理解できなくなった。よしそれから去年のブログを消しに行くかな(草)。

まあ確か去年に比べると、比較的に平穏な一年を過ごした。よって、今は穏やかな気持ちでこの一年のいろいろな出来事を語っていきたいと思う。そんな中で、もはや日本語で書く必要がないんじゃないか。ただし、日本語の語学力が穏やかに衰退していく今鍛えられる唯一なチャンスとでも捉えられるし、一応日本語で書こうと考える。

考えてみると、去年に人生のマイルストーンぐらいの出来事は一つも思い出せない、文字通りごく普通の一年だった。少々退屈だとでも思うけど、去年のような惨憺たる一年を到底二度と経験したくない。この一年は悪くない一年としてを評価する。

あえて言えば、今年は人生初の仕事をもらって、社会人になることは人生の一大事かもしれない。仕事の調子は悪くないし、同僚たちとうまくやっているし、上司もよく信頼してくれた。ただし、給料はちょっと足りないと言ったどころだが、給料っていくら何でも足りないのじゃない?今のところはちょっと我慢するしかないかな。シリコンバレーの生活は少々退屈で、友達はあまりないので、ちょっと悩んでるけど、任天度スイッチさんがそばにいてくれて生活の楽しさを十分に味わることができるのじゃないか(草)。

去年鐘さんは努力家だったと言われた。実は鐘さんにはじめ、私のことを努力家と呼ぶ人はたくさんいる。ただし、私的には努力家という呼び方は好まない。だって、努力家っていうのは、努力はこの人の唯一の取り柄のようなインプリケーション含まれているし。新米の社畜としては今こそが頑張るところだとは否定しないが、成功のためには、努力はいろんな要素の中でただ一つのファクターに過ぎないことを認識しなければならない。努力すれば必ず成功するという建前論を信じる人はいつの日かきっと深く傷つけられるのだろう。私は努力し続けるけど、努力の大切さを迷信しない。

時には、会社の勤務はつまらない一面もあり、会社の人たちの間の雑談はほとんどに車、家や子育てなどの話に絞られている。そんな話になると、私が一層アウェイ感を感じてくる。自分の事情は人がそんなに関心を持つわけがないだろう、もっと面白いことを話せよ。年をとっても私がまだ25歳、ほとんど白紙の人生にどんな色を付けたらいいかと考える時期に、そのような「重い」話に参加したくない。自分のくだらない出来事より、世界の出来事を聞きたい。今この世界はどんなに激しく変わっていくのかみんなが認識していないような、ただひたすら自分の小確幸を求めている。私はこれが嫌だ。私は面白い人になりたい、同じく面白さを持つ人間たちと付き合いたい。生活の重みに屈せず、現実の渋みに負けず、敗れても敗れてもいつも夢を捨てずに行く人になるように頑張ろうと思う。だから、「努力家よりは夢想家」かな。

去年誕生日の願い事として、「成長していく」と願った。これはとても抽象的な言葉で、叶ったかどうかは自分の次第だ。ただ、客観的に言えば、母胎ソロのまま、25年も経った私にとって、恋人をできるまでは、真の成長にならないだろう。まあそれはそれで自分頑張るしかないかな。

新しい一年に向けて、私は二つの目標をセットした。英語を続けて鍛えることと、そしてよくジムを通ってトレーニングをすること。要するには、文、体二つの分野で開花させること。あとは1時の前に寝ること。トレーニングの実行を促すために、アップルウォッチまで買った。この500ドルを無駄にならないように、きっと頑張れるだろう。トレーニングのついでに、英語のポッドキャストを聞くことができる。それに、トレーニングした後は疲れた体が必ず睡眠を渇望するだろう。これはまさに一石三鳥の絶好策として自慢する。

平成の世は今年をもって幕を閉じる。あいにく、平成の世は平和と成功の時代とは言えない。日本は平和を守ってきたが、バブルの幻滅と失われた20年を経験し、アジアを王座から転落した。その一方で、隣国の中国は、急速な経済成長を成し遂げて、世界第2位の経済大国まで膨張した。だが、急速な成長はそろそろ限界が来たように、泰平の世の裏側に、何か渦巻いているように見える。正直にそこは私が心配だ。西暦2019年、どんな機会と挑戦が待ってるか、少し楽しみにしている。

今本屋に向かって「信長の原理」という本を買いにいくどころ、本を読み終えることを来年の目標の一つとして追加する。

卫一旻
高策强无敌